博士課程の過酷さと尊敬【大学・研究室】

大学の研究室
Koji
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様々な博士課程の学生を間近で見てきて、非常に過酷な環境であり、

そのなかで頑張る姿はリスペクトに値します。

Koji
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ここでは、学生でありながら想像しがたいほど過酷である博士課程について、

少しでも知っていただきたいと思い、紹介していきます。

はじめに

研究者になりたいという想いから博士号取得を目標にしている大学生も多いと思います。

私も大学生のとき、研究者になりたいという想いが強く、

博士課程への進学を考えていました。そこで、学部4年の11月に決意しました。

「一年間本気で研究に取り組み、そのうえで博士課程へ進学したいかどうかを考える」

元々は博士課程への進学を考えていて、どうして修士から民間企業への就職に至ったのかはまた別の記事で紹介します。本気で研究に取り組んだからこそ早めの進路選択ができたと思います。

博士課程の過酷さ

論文投稿や学会発表

修士課程までは特に優れた研究成果がなくても修了できます。

科学雑誌への論文投稿ができる人のほうが少数かもしれませんし、

学会発表も絶対に出ないといけないというルールはないと思います。

一方、博士課程は、研究成果が重視され、 博士として世の中に輩出しても問題ないと判断されない限り修了できません。

研究成果を示す論文や学会発表がポイントになっており、

ある基準とされているポイントを満たさないと卒業の審査にも参加することができないという決まりになっています。

そのため論文に関しては、自分が主体的に (第一執筆者として) 論文を書き、複数の科学雑誌への投稿を行うことが必須になってきます。

日本の博士課程は約3年となっていますが、修士号を他の研究室で取得した場合、

優れた研究成果を出しつつ、出した後は論文や学会発表のすべてを3年でこなす必要があり、

自ずと深夜や休日も研究に時間を割かないといけなくなります。

優れた研究成果+複数の論文+学会発表を3年でこなす必要がある。

研究者として周りから見られる

先述した通り、博士課程は研究成果が重視され、博士として世の中に輩出しても問題ないと判断されない限り修了できません。

要するに、『研究のプロ』として周りから判断されるということです。

これが修士課程とは大きく異なります。修士課程は言わば「アマチュア」です。

修士課程までは、まだ研究の進め方などに関しても先生を大きく頼っても問題ありません。

しかし、博士課程は極端な話「自分一人でテーマを決めて、研究ができる状態」になることが求められているので、それだけ研究者の先輩にあたる先生方の指導は厳しくなります。

卒業シーズンには、博士を与えるのに値するかを審査する「数多くの先生方の前で発表し、長時間にわたるディスカッション」が複数回行われます。

先生でも「もう二度とやりたくない!」と言っている程過酷な審査を乗り切る必要があります。

博士は「研究のプロ」であり、修了の審査も厳しい。

学生の指導も行う

博士課程の学生は学生リーダーのような立場になります。

自分の研究を行うだけで精一杯であるにも関わらず、学部4年生の指導を行うケースも多いです。

研究の指導、発表の資料や原稿などの添削も行わなければなりません。

しかし、自分が指導した内容が先生から違うと言われることもあり、研究室の中での立ち位置が非常に難しい面もあります。

自分の研究で精一杯であるにも関わらず、学生の指導も同時に行う。

博士課程の学生の就活

博士課程の学生の就活も過酷です。

深夜や休日も研究を行わないと卒業に間に合わなくなってしまうので研究室のことで精一杯の学生にとって、研究に身を捧げつつ就職活動を行うことはかなり厳しいことです。

さらに、参考までに私が内定をいただいた大手化学メーカーに関して、

同期の中で博士課程の学生は片手で数えられるくらいしかいません。

将来、少しずつ博士課程の学生の採用が進んでくるとは思いますが、

採用人数の少なさも逆風になっています。私の研究室の博士課程の先輩も就職活動ではかなり苦労していました。

大学や国立の研究所での博士研究員や助教などの職を考えている場合、新卒だけでなく、すでに博士号を取得している研究者も含め、少ない枠を取り合うことになるので、決して楽な道ではないです。

博士課程の学生の就活は民間企業も国の機関も難易度が高い。

まとめ

研究室での博士課程の過酷さについて紹介していきました。

今回述べたかったのは、単に過酷というわけではありません。

過酷であるが故に出会うことがなく、認知されにくいが、リスペクトに値する博士課程の学生がいるということです。

この記事を通して、少しでも博士課程について知っていただければ幸いです。