今回は研究が面白くないと感じた瞬間について紹介していきます。
ポケモンやドラマや映画などで “博士” が華のある仕事であると描写されますが、現実は泥臭く、うまくいかないことが大半ですよね。
これは研究室に所属しないと気づかないことですよね。では、具体的に紹介していきます。
大変なことが多い中、一瞬の成功や楽しみに気づき、研究に没頭して行く人がいるのも事実です。
実際に楽しいと感じた瞬間については他の記事で紹介していきます!
難しすぎる課題に取り組んでいるとき
明らかに難しくて成し遂げるのがかなり困難である研究に取り組んでいるときは
目標が見えにくく苦しかったです。
一般的には目標は、「背伸びをして届きそうで届かないくらい」が良いとされていますが、
研究の場合は、「ジャンプをして届きそうで届かないくらい」が適切であると感じました。
そのため、社会的には重要な課題であっても数十年達成できていない研究のような「ジャンプをしても届かないと思われる目標」に取り組んでいる場合はモチベーションを保つのが難しかったです。
自分の実績にならない研究をしているとき
雑用のようなもので、自分の実績に繋がらない研究は
研究する意味を感じることができませんでした。
例えば、研究費の獲得のための共同研究などです。
研究室は資金の調達に苦労しているので、学生が資金調達のために労働させられることも多いです。
大学関係者からしたら場合によっては全く無意味な研究も実際に存在します。
また、企業は原料などに関して数円のコストカットであっても、プラントの規模になると数億円のコストカットになることもあるので大学にとっては無意味な研究であっても企業にとっては重要な研究であることも多いです。
このような研究費の稼ぎのために企業との共同研究をさせられたときは面白みを感じることができなくなる人もいると思います。
しかし、メリットも存在します!
企業の研究に関与していて「企業の研究」について詳しいのは就活では活かせることであるので、担当になってしまったらぜひ就活で活かしてください。
どのように活かしたかどうかについてはこちらの記事で紹介しています。
解析で判断に困る微妙なデータを見ているとき
解釈の仕方で結果が大きく変わってしまうときは、自信を持てませんでした。
テキストや授業で見るような機器分析や解析の図はとてもきれいな結果であり、実際に取り扱っているデータは微妙であり見にくいものも多いです。
数値やデータで論理的に判断する学術研究の世界であっても、解釈に困る場面が意外と多い現実に触れてしまったときは、論文を過信してはいけないと感じました。
趣味が充実しているとき
趣味が充実しているときは、研究よりも趣味をしていたいと感じました。
特に部活やサークルに一生懸命に取り組んでいる人は、研究よりも楽しいと感じている人も多いと思います。
プライベートが充実することは良いことではありますが、研究室は仕事並みに時間を費やすので、面白いと感じるほうが得ですね!
研究に関するイベントがすべてオンラインに変わったとき
学会などのオフラインのイベントは研究をする上での大きなモチベーションとなりました。
しかし、新型コロナウイルスの影響でイベントがオンラインに変わってしまったとき、対面で行う喜びが得られませんでした。
対面で発表する機会がないのに、何のために研究をしているんだと感じたこともありました。
まとめ
今回は、研究がつまらないと感じた瞬間について紹介していきました。
研究は、「楽あれば苦あり」の世界なので一長一短です。
対照的に、研究が楽しいと感じた瞬間についても紹介していくのでぜひ読んでください!