もう修士課程が修了になるけど、2年前に研究室で病んだことを
考えると「よくこの時期まで頑張りました!」という感じだよね。
研究室で病む人の話は他の研究室でもよく聞く話だけど、
ベールさんが以前、研究室で潰れたことは初めて知りました。
同期だから近くで見てたけど、あのときは本当に気の毒だったよ。
あのときは本当に助けてほしかったけどね…..。
今振り返ってみてもあのときは本当に大変だったから他の人に同じ思いはして欲しくないね。
今回は、2年前に同じ研究室でうつ病になり、一旦回復し、その後の研究室生活を
うまく乗りきるため、現在に至るまでの2年間の過程について詳しく紹介していきます!
2年前の状況
2年前は、簡潔に申し上げると以下のような状態でした。
『自分のやるべきこと (卒論)を優先的に教授にやらせてもらえず、企業との共同研究 (雑用)を優先してやらされていました』
卒論以外をやる余裕が全くないにも関わらず、雑用にかなりの時間を割くことを強いられていました。
当時は惨めな気持ちになり、気分が落ち込むだけでなく、
常に頭痛が収まらず、辛すぎて毎晩家で涙が突然溢れてくる症状が約1か月継続しました。
詳しくは別の記事でまとめてあるので参考にしてください。
うつ病から回復してから
うつ病から回復した後の状況について詳しく記述するために、
月別の状況ごとに記していきます。
3月
本当に運がよかったです。
2月~3月に卒業論文と企業との共同研究の実験を並行して行っていましたが、
卒業論文を提出した後には、
卒業旅行&帰省の予定があり、一度、研究室と距離を置くことでリフレッシュすることができました。
もし、研究室と距離を置いてリフレッシュすることができなかったら
復帰することが難しくなっていたかもしれません。
4月から5月
同じ研究室で修士課程へと進学しました。
また、この頃から新型コロナウイルスが蔓延し、大学の研究室も閉鎖したり、
研究室の滞在時間を減らすという対策が行われました。
私が所属している研究室は実験系であり、手を動かさなければ基本的に研究は進まないので、
研究室とはしばらく距離を置くことになりました。
また、企業との共同研究も継続して行っていましたが、共同研究先もコロナの対応が忙しく、
共同研究先から実験してほしいとの話は聞かなくなりました。
共同研究を避けることに関してはコロナに助けられたかもしれません。
この頃は授業とコロナの影響で研究は自分のペースで行っていたので、
比較的ストレスフリーだったと思います。
6月から7月
徐々に世の中が「With コロナ」の考え方に移行していったこともあり、
研究活動が再開されました。同時に共同研究も再開し、
先生も当然のように私に共同研究の実験を担当させていました。
あるとき、共同研究先と私が同じ実験手順で研究を行っているにも関わらず、
データの違いがみられ、細かく検討を行う必要が出てきました。
そのとき、教授に「修士課程までの学生のデータは正直あまり信用していない」と言われました。
それなら修士や学士の学生に共同研究をやらせないで、研究室で雇っている研究員にやらせればいいじゃん!って正直思いましたね。
結局、研究員が実験を行ったデータは私とほとんど同じ結果となったわけでしたが。
「修士課程までの学生のデータは正直あまり信用していない」と言われながらも、研究室で雇っているわけではない私に共同研究のタスクをやらせている教授には心の底から不信感を抱きましたし、
「もう絶対に共同研究なんかやりたくない、頼まれてももう断ろう」
と共同研究に対する心境の変化がありました。
8月から9月
秋は学会シーズンということもあり、研究室はとても忙しくなります。
私も学会発表があったので、自分の研究を進めつつ、忙しい中ではありましたが、我慢しつつ共同研究も行っていました。
学会発表が終わり、肩の荷が下りたので、連休を取得して旅行に出かけました。
あるとき、連休で旅行に行っていたときに (先生も旅行に行っていることは知っている)、研究室から「共同研究の発表スライドを日曜日までに送って」というメッセージが来ていることに気づき、
もう我慢できなくなりました。
雑用である共同研究を行っていることに関して対価もなく、当然のように私にタスクを押し付けてきていることは本当に許せなかったです。
9月に「もう共同研究を絶対にやらない」という旨を直接教授に伝え、それ以降は共同研究をやらなくなりました。
博士課程への進学なども考えており (長い目で見たら教授には良い顔をしているほうが良いかなと考え)、共同研究を断るまでかなりの期間を要してしまいました。
修士一年の10月以降
企業との共同研究を断り切れずに約半年担当し続けていたのにも理由があります。
- 博士課程への進学をするのであれば研究室の先生とは良好な関係を維持したかった。
- 修士課程での就職となった場合にも共同研究先を選択肢として残しておきたかった。
私の場合は、共同研究の担当から外してもらう際に、
「博士課程へは進学しないこと」「共同研究先への入社ははじめから検討しない」
この2つを心に決めていた状態であったので、思い切った選択ができました。
もし、博士課程への進学を断てずにいたら共同研究を断るという決断は難しかったと思います。
私が所属する教授は良い人ではあるので、もし博士課程へ進学したい場合、「自分の研究に注力したい」という旨を伝えて、共同研究を外してもらうということも可能でしたが、
研究に対するこだわりが薄れてきたということもあり、私は博士課程への道を断つことに決めました。
実際に博士課程への進学から修士からの就職を決めた理由はほかにもあり、詳細は他の記事でまとめてあるので、ぜひ参考にしてください。
研究や研究室に対する意識の変化
お酒などでも同じことがいえると思いますが、
一度病んで潰れたことがあるので、研究室では自分を守りながら研究に取り組むという振る舞いをするようになりました。
完全に研究室や研究に失望して、研究をやらなくなったり、研究室に行かなくなったわけではありません。
M2のときも学会発表は複数行いましたし、論文も出しているのでもちろん研究は続けていました。
普通にまじめに研究を行っている学生な感じです。特に熱心に研究を行う感じでもありませんでしたが。
意識の変化として、自分で「研究を続けていく上での決め事」を設定しました。
例えば、研究室では定期的に進捗報告が行われていると思います。
早い人では2週間に一度くらいのペースでやっている人もいるのではないでしょうか。
このときに、「あくまで完成品ではなく、長期的な研究に対しての現状を伝えるもの」
として進捗を報告していました。
先生などはキリの良いものを求めるとは思いますが、頻繁に行う進捗報告でキリの良いものを提供すると一瞬で土日が犠牲になると思います。
また、自分を優先することとしては、就活が近いときはさすがに先生に言われても学会には出ないようにしたりもしました。
いろいろと書きましたが、一番大事なのは以下です!
研究室はもともと終わりがないものであるので、終わりがないことに関してしっかりやっていたらキリがないと考えています。
また、自分の研究室だけでなく、他の研究室も見渡してみたらいろいろな学生がいるわけで、基本的にみんな卒業できていますよね。
そこそこやるだけで十分に及第点は突破できますし、気負うこともないのかなと感じました。
博士課程のことは経験していないので当てはまるのかはわかりませんですが、
研究は長期戦なのでマラソンくらいが良いですよね。
先生が圧倒的に力を持っている研究室も多いので、難しいことであると思いますが、
言葉や行動の変化で自分のスタンスを伝えることも大事だと実感しました。
まとめ
一度うつ病を経験した研究室に居続けることができるのか当時は自身がありませんでしたが、
考え方を変えることで、無事に研究室生活を乗り切ることができました。
うつ病にまではなっていなくても、
例えば「自分が研究に向いていないことが分かったのが院試で合格したあと」
という人も多くいると耳にしています。
研究関係で大変な思いをしている人にとって少しでも参考になれば幸いです。